裏の梅の木 隣の木

Enikki        隣の火の手 U     01/03/13

 

隣の火の手は2階の被害だけで済み

5分の勝負と言われる初期消火の成果に満足出来たのは、実祭はもっと後のことになる。

一応に皆、火事と言う惨事にまだまだ興奮していた。

火事場の馬鹿声を体感した私は、その数分後救急車に乗っていた。

3月2日午後7時、通報して20分くらい後のことだったろうか。生まれて初めてのことだった。

老女は一人暮らし。親戚が来られるまでの面倒は見てあげなくてはいけないだろうから

今晩は家で休んでもらえば良いとも考えていた所だったので

私にとっては同乗も当然の事のようで、すぐ了解したのだった。

救急車で行くほどの事もないくらい、やけどは軽そうに見えたが、

煙を吸っているおそれがあるので、念のため姫路のA病院へ行くと言うのだ。

Aと言えば、この辺りの耳鼻咽喉科では権威のある病院。

なるほどと思えるありがたい配慮に

さすがこれがプロの対処と言うものかと感心した。

救急車の中から外は全く見えなかった。何処をどう走っているのか、時折

もう一台救急車に出くわしたかと思うほど一層けたたましい音を響かせながら走っていた。

乗り心地は良くあろう筈もないが、私は兎に角、

スッポリとベットに横たわった老女の体は気の毒なほど揺れる事を余儀なくされている。

病人にはダメージの少ない設計なのだろうが・・・。

その彼女に署員が細かく質問を投げかけながら筆記をしている。

その時点で初めて大阪にいる娘さんとの連絡も取れたようだ。

老女は気丈なしっかりもので、この期に及んでこの態度は彼女ならこそ、と思うほど

ゆっくり記憶をたどりながらしっかりと質問に答えていた。

その間、救急的な処置は何もなかった。

署員は3人。運転席と助手席と後ろの患者の傍にいた。

どれくらいの時間が経ったのか覚えていないが、普通では25分くらいかかる距離だ。

A病院に着いた。

 

老女は、ショックからか足元がおぼつかなかった。

体を署員と二人して支え病院に入ると、其処はアッと驚く人混みだった。

待合室は勿論、診察室にも人、人、人。

テレビで見る大惨事の後の病院の映像が交錯した。

しばらくその大勢の人の中で、大勢の視線を浴びながら診察を待つこととなった。

署員は2度ほど看護婦に催促をしたが、即診察と言う訳にはいかなかった。

其処では、はっきり覚えていないが、何人かの先生が診察をされていた。

診察を受けた先生は、多分院長のA先生だったのだろう、初老の先生だった。

カメラで喉の奥まで丁寧に写し出し、ビデオで説明を受けた。

 

診断は、すすを吸っているが大したことはないだろうと言うことだった。

皆、表情こそゆるまなかったが、ほっとしていた。

喉の腫れも炎症も認められないので、外傷のやけどの処置にB病院へとの紹介があり、

又、其処から時間をかけて書写のB病院へ向かう事となった。



車中、署員と救急救命士のエンブレムを付けた署員とが交代し、火傷の治療が始まっていた。

額に少し薄皮の剥けたような火傷が認められたが、

他には外傷らしき何もなく顔はすすで黒かった。

 

B病院に向かいながら内心私は家からどんどん遠く離れて行く事にいささか不安を感じていた。

もし一泊くらいは大事をとって入院となると、私は・・・・。

丁度そのころ、家から携帯に連絡が入った。

老女の一番近い親戚がこちらに向かっていると言う。良かった。

老女に告げると、彼女はただ、大きくうなずいた。

しかし、私は・・・

救急車は病人を病院へ運んではくれるが、私を家まで送ってはくれないだろうし・・・

実際、こういう場合、後先のことは考えずに行動するのは仕方のないことだし・・・

 

そんなこんなが心によぎったというのも、随分気持ちがリラックスしてきたせいだろう。

 

B病院では救急患者を受け入れる体制で待っていて下さった。

いささかぶっきらぼうなような先生の口から、この後

私達は思いがけない言葉を聞くことになる。

 

続く

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焼け落ちた屋根

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